2018/09

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

<< >>


スポンサーサイト

  • -
  • スポンサードリンク
  • -
  • -
  • pookmark

一定期間更新がないため広告を表示しています


あと2時間で20日ぶりに東京の自宅に帰る。
3月の11日に地震が起こり、14日に東京から北東250kmの位置にある原子力発電所が爆発し、余震が続く都下でも停電が「計画」された。事業継続計画に基づいて早々に東京オフィスの閉鎖を決定した勤務先からは「西日本への移動を躊躇すべきではない、あなたとあなたの家族のために」という趣旨の電話が借金の取り立てのごとく毎日朝夕にかかって来るようになったため、プレッシャーから、3月15日の夜、スーツケースに洋服とThinkPadとMacBookと買ったばかりのコーヒー粉と写真集を詰めていよいよ私も東京を離れることにした。
16日の朝夜行バスで到着した大阪駅は、新駅ビルのオープンを5月に控え、いつもよりむしろ活気づいているように見えた。朝マックを食べて、そのまま大阪オフィスに出勤した。もともと客先に出向くことは少なく、社内LANと携帯電話があればなんとか業務を遂行することができるようなユルい仕事をしていたため、大阪に席を移しても、大きな支障はなかった。ただ、震災から2週間の間、17時以降に始まる電話会議のすべてが、日本人である私を労り気遣うコメントから始まった。それに応えるため、(図々しくも)主語をweにして感謝を述べる必要があった。サロンの大阪支店のお姉さんは、大阪の近隣のホテルがプチバブルだと言い、父も大手の滋賀や大阪の工場があちこち24時間稼働に切り替わっておかげで発注が増えていると話した。
勤務先が「安全の確認された」東京オフィスを再開させたのは、私が大阪に着いて10日後だった。私はさらに1週間の大阪オフィスでの勤務を申請し、申請はワークフローに沿ってあっさりと受理された。

日本では、いずれ静岡以東で大きなカタストロフが起こることも、東京の状態が2010年よりもっと悪くなることも、地学的にあるいは経済学的にあるいは下馬評のレベルでも十分に予見されていた。個人的には、NHKの浮かれた東京スカイツリーの報道を見ながら、あれが完成したらいよいよ関東大震災が起こるね(バベルの塔的に考えて)と声を潜めて話したことすらあって、実際その通りになったわけだけど、ずいぶん動揺したものだ。動揺はいまだに続いているし先行きは不透明だけれど、「がんばれ」でも「がんばろう」でもなく、「僕も怖い」の一言に後押しされて、とにかく東京での暮らしを再開することにする。